先月は、正しい言葉遣い・正しい伝達方法を求める努力の必要性について述べました。
今月は、その続きになります。
多くの事件が起こっています。色々な要因が取りざたされていますが、言葉(メール)を発すれば発するほど、孤独を感じてしまったという現象に注目してみたいと思います。
表現する人の問題として、心の中の思いを、緑色の100としてみます。
それを誰かに分かってもらおうと、言葉に出してみると、緑色の100が橙色の60に変化してしまうことがほとんどなのです。なかなか自分の心を正確には表現できません。これに気がついていない人が多いのです。
事件を起こした人の中には、自己の表現力不足のために生じた現象を、他者のせいとしてしまう、そんな姿が見えます。
さて、私たちは言葉の投げ手であるとともに、受け手でもあります。この時にも注意が必要です。緑色の100の思いが、もしも、緑色の100と表現されて、投げかけられたとしたら、あなたは、それを必ず緑色の100として受け取ることができるでしょうか。私にとっては至難の業です。その日の体調・天候、忙しいか、暇かなど、さまざまな要因が影響を与えると思います。仕事で忙しい親が、わが子の切実な言葉を、その十分の一くらいにしか受け取らないこともありうることです。
私たちは、言葉の投げ手としての立場と、また、受け手としての立場を、しっかりと再認識して、昔、紙や布を堅く丸めてボール代わりにし、相手の受けやすいところに一生懸命投げていた、そして、今はもうあまり見かけなくなったキャッチボール、言葉のキャッチボールの汗を気持ちよくかきたいものです。
言葉 2008-07-10